旧御射山社


6月14日

新月の御射山社

6月14日新月

御射山のご神木(ヤマナシ)

 

12月25日

クリスマス寒波で積雪+5cm

 

由緒

霧ヶ峰一帯は旧石器時代の遺跡が多く、また国内有数の黒曜石の産地です。ここは

旧御射山といい、諏訪神社下社大祝金刺氏の禁猟地で太古から御射山祭が行われた所です。

鎌倉・室町時代は信濃武士鎌倉武士が参加する全国的な大祭として盛大でした。

「諏訪大明神画詞」から中世の下社御射山祭を思い描いてみますと。

旧暦七月十六日、大祝神官社人・御頭役(祭の当番)一行が山に登り尾花(ススキ)で葺いた穂屋に五日間籠りました。周囲に見える人工土壇は穂屋の敷地跡です。別名穂屋祭と言われる由縁です。
この頃ちょうど二百十日にあたるので、雨風を鎮め五穀豊穣を祈るため狩猟を行い、その幸を山宮の神に供えました。この間奉幣・狩猟・饗膳(神と人が相嘗する式)があり、十九日の矢抜きの儀には鹿を射止めた者に、尾花(ススキ)を添えた尖矢が授けられました。
参集の武士たちは小笠懸・相撲・草鹿・武射・掲鳥など競い、馬乗に秀でた諏訪の武士は名声をあげ人々の心を惹きつけました。また鎌倉幕府の篤い崇敬により、諏訪神の武神としての信仰が確立したと言われています。
諸国から白拍子、田楽、巫女、呪師などが山に群集し、祭場は里のような賑わいであったと和歌にも詠まれています。この祭を機縁に諏訪神は広く勧請されてきました。各地の諏訪神社の多くが十七日を祭日としているのも故あることです。
江戸時代の中頃、御射山の祭場は秋宮近くの山中に還され、以来、旧御射山は遺跡地となりました。ここに鎮まる石祠を「本御射山社」といい、建御名方神をお祀りしております。付近には清水が湧き、風そそぐススキは秋の稔りをほうふつさせます。旧御射山は諏訪大社下社の山宮・水霊の籠るお山であり諏訪信仰の原点です

強清水の樹叢の中にある水神社にお参りしてみました。

樹叢の中にひっそりとたたずむ水の神様

とても神秘的